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年初は伊勢、神戸へ

2017.01.14 Saturday

年明けのブログ更新が遅くなってしまいましたが…。
皆さんあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今回の年末年始は前までと大きく違ったところがありました。
それは…

年賀状が一枚も届いてない!
もちろん出さない!


去年まではクソーリンが粘り強く送ってきてましたが、ブログの書き込みを見たのか今年は送ってきませんでした。
どうせ来ても返さないですからね。

年賀状シーズンになると郵便局が混み合って順番抜かしする輩が出てくるわ、臨時の戦力として投入された素人バイトが誤配を起こすわで、日頃から郵便を使ってる人間からするとちょっと迷惑な風物詩だというのが正直なところです。
中には本当に必要な年賀状もあるでしょうが、それは全体の5%ぐらいじゃないかと思います。

日本郵便の本心は知らないですが、これからハガキが値上げされるということは少子化でバイトが集まらず年賀状を捌ききれなくなっているから減らしたいというのが本音かもしれませんね。

・・・

前置きが長くなりましたが、年明け早々関西へ行ってきました。
ボイコットしようか悩みまくった伊勢の家族旅行でしたが、難なく終えることができました。

結婚なんてしたくねーよとはっきり言えたのは良かったです。

おそらく結婚して子どもでもできたら多分面倒見切れなくなって一家で実家に行っちゃうことになると思うんで、それは誰のためにもならないでしょう。
パラサイトシングルならぬパラサイトトリプルってやつですな。嫁姑問題で揉めまくること間違いなし!

以前はこうなることを前提に婚活して、結婚か出産を期に総出で実家に帰るという計画がありましたが、今となってはもう帰りたくありません。


旅行の後は近鉄に乗って事実上の第二拠点のある神戸へ。

途中でクソーリンの故郷である松阪を通過しました。
松阪駅で一旦降りて奴の出身高校である松阪高校を巡礼しようと思いましたが、夕方神戸に到着する必要があったので今回はやめときました。
それに奴も松阪に帰ってたりすると悪夢の再会を果たしてしまう可能性もゼロではないので。

神戸には在庫を持って行ってしばらく滞在しました。

いろいろありましたが病気することもなく楽しい年末年始を過ごせました。
皆さんは年末年始楽しく過ごせましたか?

東京で過ごす大晦日

2016.12.31 Saturday

今年は年末帰らなかったので大晦日も正月も東京で過ごすことになりました。
きっと来年も年末は東京で過ごすことになるでしょう。

2016年は皆さんにとってどんな年だったでしょうか。
世界に目を向けるとブレグジット、大統領選でトランプ勝利などあっと驚くイベントが盛りだくさんでしたね。

私にとって2016年は重要なターニングポイントで、人生戦略の転換を行いました。
それは結婚をあきらめたこと、投資家として活動を始めたことです。
投資家として活動を始めたとはいえデイトレーダーのように丁半博打でハイリスクハイリターンを狙うのではなく長期でコツコツやっていくスタイルです。そのため資産の運用益による収入は本業と比べるとわずかです。
ただ、わずかでも複利効果で長期目線では馬鹿にできなくなるので将来的な経営安定化には大きく寄与すると考えられます。

複利効果は本業のほうでも見られます。
事業収益は創業以来3年連続で増加していてこの傾向はまだまだ続きそうです。
これは利益をどんどん再投資していくことで成し遂げられたと言えます。

某大学のクソーリン、クソコナダニは複利の仕組みが理解できてないようで恥ずかしいですね。
最初は月2000円でも複利の仕組みを応用すればたった数年で100倍です。
これはあのアインシュタインも人類最大の発明と評してるほどですから、京大にいるなら知っておくべきです。

来年も複利運用で商品を充実させたり在庫に余裕をもたせたりでお客様にご満足頂ける経営を心がけていこうと思います。
特に為替や物価のリスクは様々な方法でヘッジしてますので、トランプ円安による悪影響はほとんど受けておらず1ドル130円になったとしても価格改定の必要がないと見ています。
来年のことは来年にならないとわからないですが。

それでは良いお年を。

年末年始の営業について(2016-2017)

2016.12.27 Tuesday

少し遅くなりましたがメリークリスマス。
今年ももちろんクリぼっちでした。
昔はクリぼっちが少数派で肩身も狭かったと思いますが、今やクリぼっちのほうが多くなってしまいました。
それでも半数を少し超える程度で、私の周りの現実と合いません。もしかして友達と過ごしたり実家で親と同居してる人はカウントしてないのでしょうかね。

・・・

さて、今年は年末年始実家に帰りません。年が明けてから少し旅行に行く程度でそれ以後は実家とは距離を取ります。
実家に帰らないので年末年始も通常通り営業しております。ただし棚卸しと大規模清掃を行うため28〜3日は発送が遅れる場合がありますのでご了承ください。

おーてぃんの在庫復活しております。

人生五十年の真相

2016.12.17 Saturday

織田信長が残した信長公記に「人生五十年」という言葉が出てきます。
日本人ならそれを聞いたことがない人はいないと思いますが、どうも誤って理解している人が非常に多いです。

よくある誤りは信長の時代は50歳ぐらいまでしか生きられなかったという解釈です。
さらにそこから派生して、昔話に出てくるおじいさんおばあさんは40歳ぐらいだったというあり得ないことを言う人までいます。
クソーリンは寿命が短い原因をその時代の食生活のせいにして、お前も早死するぞという脅しをかけてきました。

結論から申しますとそれは間違いです!

・・・

そもそもなぜ「五十年」なんでしょうか。それは仏教では天界の1日が50年とされていたためです。
今も昔も50歳が人生の節目となることには変わりないので、50歳というのはある意味重要なターニングポイントとして考えられていました。
そこには50歳を超えるとできることが限られてくるので若いうちしかできないことは若いうちにやっておけという意味合いが込められています。
50歳を超えると運悪く病気にかかった時に命を落とす確率は高かったと思われますが、50歳でいきなりバタバタ死んでたわけではありません。

ではなぜ寿命が50歳ぐらいだったと誤解されてるのでしょうか。それは「平均寿命」と混同していることと、50歳を超えた遺骨が今日まで保存されにくいことが関係しています。
昔は乳幼児死亡率が異常に高かったためそれが明らかに全体の平均を下げていて、平均寿命は良くて50歳、悪くて30歳もないと言われてます。

そもそもどうして昔の人の平均寿命がわかるのでしょうか。遺骨を調べればこの人は何歳ぐらいで亡くなったんだなとわかりますし、出てきた遺骨の推定年齢を平均すれば平均寿命が出てくるように思うでしょう。

そこに落とし穴あり!

遺骨は条件が揃わなければ保存されません。博物館にあるような恐竜の骨は本物の化石だとしても骨そのものが残っているのではなく、長い年月の間に岩石と置き換わってしまい、骨の形をした岩石ができてしまったのです。
つまりあれはよほど運のいいやつだと思ってください。

人間も同じで運が良くなければ残りません。比較的よく残りやすいのは子どもの遺骨で、これは母親が我が子を想って大事に保管するので今日まで残りやすいです。このことは統計上の乳幼児死亡率の高さを引き上げて平均寿命を下げる要因にもなっているでしょう。(乳幼児死亡率は戦略的難産化の弊害でもともと高かった)
では50歳を超えたらどうでしょう。骨がスカスカになりやすいためすぐ土に返ってしまって残りません。
80歳まで生きた人がいても骨があまり残ってないのです。骨が見つからなければどうしようもありませんね。
というか寿命の推計が全く信頼できません。

以上が「人生五十年」の真相です。
江戸時代の50歳がおじいさんではないことがご理解頂けたのではないかと思います。

・・・

人間は他の動物とは異なる寿命戦略をとっています。
人間以外の動物は動物園の動物でもペットでも生殖能力を失うと長生きできません。医者でも手の施しようがないのです。
このことは明らかに人間が長生きするように淘汰を受けて進化してきたことを意味します。

何十万年も前であればおそらく本当の意味で人生が50年どころか20年ぐらいだった頃もあったでしょう。サルの寿命がそれぐらいですから。
寿命が伸びるような突然変異が起きるとそのほうが多くの子孫を残せるため生き残りやすく、その中でまたさらに長生きできる遺伝子が生き残るというプロセスを繰り返しながら1万年につき1年ほどのペースで寿命を伸ばし続けてきました。

老後寿命が飛び抜けて長いことに関しては、高度に社会性が発達して老人にも役割が与えられたためです。
一般におじいさん、おばあさんは子育てに協力的です。親が怒りっぽくてもおじいさんは優しいという経験は多くの人がしてきたことでしょう。
おじいさん、おばあさんが子育てに協力することでその家系はより多くの子孫を残すことができたため、老後寿命を伸ばす方向にも自然淘汰が進みました。

この進化は1万年で1年伸びるという非常にゆっくりなペースですから、たった数百年で20年以上伸びるということはあり得ません。
江戸時代でも成人まで生き延びればよほどの不運に見舞われない限り70歳以上生きるのは普通だったと考えられます。

これは人生50年説のアンチテーゼで人生70+年説と名づけます。略して70+説です。

人類はなぜ難産化したか

2016.12.04 Sunday

私のもともとの専門分野である生物学にはまだわかっていないことがたくさんあります。
わかっていないのをいいことに適当なことを吹聴して金儲けやレイシズムの正当化に利用する悪い連中もいますが、学問としての不完全性は言い換えればそれだけ想像の自由度が高くてロマンがあるということでもあります。

さて、生物学最大の謎の1つに人類が恐ろしく難産であるということが挙げられます。
よくあるありきたりな説明としては知能を発達させるために脳がでかくなってしまったから難産になったという理屈があります。
これは脳細胞を小さくして集積密度を高めるという解決策を無視しています。脳細胞は原子と比較して十分に大きいので集積密度を1〜2桁程度増やすのは余裕なはずです。

ここで集積密度を上げられなかった理由を考えてみました。
USBメモリやSSDは集積密度を上げることによって容量を増やしてますが、それは信頼性を犠牲にします。
あまりにも集積密度を上げてしまうと宇宙線によるビットエラーが出やすくなったり大きな太陽フレアが起こった時に完全に破壊されてしまったりします。
最初はこの問題で集積密度を上げるという解決策が取れなかったのではないかと考えました。

ところが計算では太陽フレアが問題になるには最低でも4桁以上密度を上げた場合で、2桁ぐらいでは何の問題もありません。
通常の10倍以上ある超巨大な太陽フレアが起きる度に集積密度を下げるように淘汰圧がかかったという仮説はボツです。

そして最終的には戦略的にわざわざ難産化したと結論づけました。
なぜこんな戦略を取ったのか。それはあえて繁殖にハードルを設けることで人間同士が協力するようになり、逆に安産の遺伝形質はその必要がないので好戦的になりすぎて結局自滅してしまったという考え方です。
確かに難産だからこそ子どものありがたみがわかると言えますね。

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