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覚悟を持った1年に

2021.01.07 Thursday

新年あけましておめでとうございます。
今年も豊充風船商店をよろしくお願いいたします。

年が明けてからやることがいっぱいあり、かれこれ1週間ぐらいブログが更新できませんでした。
既にここのところだいぶ更新頻度が落ちてますけど。

去年はコロナに翻弄された1年となりました。
オリンピックが延期になったり安倍政権が終わったりトランプが負けたりいろんなことがありましたが、今年はコロナも終息して平穏な1年になるでしょうか。
残念ながらそうはなりそうな気がしません。

・・・

1991年、2001年、2011年など、末端に1がつく年はろくなことが起きてません。
1991年はバブルが崩壊し、2001年は同時多発テロ、2011年は東日本大震災からの福島原発事故がありました。
これらの事件は数年にも渡って影響を及ぼして不況や戦争、世界的な政情不安などの多数の二次災害を連鎖的に引き起こしました。

個人的にもこれらの年はろくなことがなかったです。
1991年に引越したのですが引越し先の近所にキ○ガイがいて再度引っ越す1997年までそれに悩まされることとなりました。
2001年は小学校から中学校に上がりましたが、小学校の卒業式に出られないというところから始まって中学生活の出足も最悪でした。
2011年は仮面浪人の末に京大の大学院に入りましたが、入っていきなりアカハラという10年前を彷彿とさせる最悪の出足です。
これらの事件はいずれも後の人生を変えるほどの出来事となっており、前の事件が次の事件の呼び水となってるとも言えそうです。

また、バブル崩壊が引っ越しのきっかけとなったり東日本大震災がクソ研究室に入るきっかけとなったりしてるので、1991年と2011年は社会的な厄災と個人的な厄災がよくリンクしてます。
2001年はテロのほうが後でしたが、テロの前から小泉やブッシュによる社会情勢の悪化が見られたのでその影響は無視できないと思います。

・・・

というわけで今年世界で起きる厄災と、自分に降りかかる厄災を予想してみます。
予想できれば避けることはできなくても被害を小さくしたり身を守ることはできそうです。

過去3回の魔の年に起こった事件はどれも突発的に発生してるように見えますが、バブル崩壊は前年の1990年に日経平均株価の暴落という前兆がありました。
世界同時多発テロも元々あった火種が爆発したものであり、テロの発生を予想してた人もいました。
東日本大震災を予想していた人はほとんどいませんでしたが、当時政権を握っていた民主党によるお粗末な対応が被害を広げたという意味ではそれが前兆だったと言えるかもしれません。

ここから類推して今年発生する厄災を予想すると、それは新型コロナの拡大やアルメニアとアゼルバイジャンの紛争、トランプの敗北あたりが呼び水となって大爆発を起こすということが考えられます。
コロナがこのまま拡大して世界人口の何割というレベルで感染するというシナリオがまず考えられますし、コロナが小康状態になったとしても何らかの二次災害を引き起こしたり全く別で発生した災害の被害を拡大することは確実です。

例えばコロナが蔓延してる状況で東京で直下型地震が発生したら、富士山が爆発したら、と考えると恐ろしいシナリオしか思い浮かびません。
そして自分に降りかかる厄災とは言わずもがなそれに巻き込まれるということになるのでしょうか。

コロナは社会や個人の脆弱性をどんどんあぶり出してます。
なあなあの関係で騙し騙し続けてきた夫婦がコロナで関係が悪化して離婚したという話は聞き飽きました。

東日本大震災の頃も聞いたぞ。災害で離婚するような脆弱な家庭を作るとは懲りないなあ。馬鹿だなあ。としか思えません。

しかし日本は曖昧の文化ですのでなあなあで成り立っているものがたくさんあり、例えばちょっとメンテナンスを怠ると崩れるような橋みたいなものはそこかしこにあります。
医療崩壊も本質はパンデミックのリスクをないことにして医療を政策的に保護し、医師の数さえもコントロールしていたことが裏目に出てしまった結果と言えます。

なあなあで保たれてきたものの崩壊はどこで起こるかわかりません。
道路が陥没するとか、道がなんとなく荒れてくるということは間違いなく増えるでしょう。
局地的な災害がきっかけとなって日本中のネットが突然停止するということも考えられます。

いつどこで何が機能不全を起こすかわからず、ちょっとした災害でも大きな二次被害が誘発される。
これが今年起こる厄災のパターンではないかと思います。

・・・

災害から身を守るには周囲の人間関係を見直すことが有効です。
二次災害を起こすのは人間です。災害時にわざわざ被害を拡大させるような人間は自分から遠ざけて、肝心な時でもちゃんと助けてくれる人を周りに置くべきです。
災害が起こってから離婚するぐらいなら災害が起こる前に別れましょう。非常時対応が上手かどうかは去年の時点でもう答えが出てるはずです。

こういうご時世に飲み会に誘ってくるような友達とも縁を切るべきです。
家でサシ飲みしようと言うならまだいいですが飲み屋に誘うのは完全にアウトです。

虐待しておいてコロナを言い訳にするような馬鹿とそれを擁護する大馬鹿が大量に涌きましたが、コロナを言い訳に虐待するのであれば子育てに向いてないということなのでもっと向いてる人に任せましょう。
またそういう馬鹿者が身近にいるのであれば早いこと縁を切るべきです。

そうやってどんどん縁切りをすると孤立するかもしれませんが二次災害に巻き込まれるぐらいなら孤立したほうがマシです。
私は去年携帯の機種や電話番号を変えたのをきっかけに人間関係を整理しました。
1991年、2001年、2011年に経験した個人的な厄災は全て対人関係の問題でしたので、付き合う人間を選ぶことで災いは避けられると考えました。

年末年始に断捨離をされた方は多いと思いますが、人間関係のほうも今のうちに断捨離しておくことをおすすめします。

京都・黄檗の旅

2020.12.29 Tuesday

今月4日、ついに思い出の地である京都の黄檗に足を運びました。
広島・福山の旅のちょうど2ヶ月後にあたります。



黄檗は「おうばく」と読みます。
京都の人でも読み方を知らない人が少なくないほどで、JRは鈍行しか止まらないため何か特別な縁がない限り足を運ぶことはまずないような場所です。
しかしそんな黄檗にかつて2年半ほど通い続けてたことがありました。

何を隠そう、京都大学宇治キャンパスは黄檗にあるのですから!

・・・


というわけでJR黄檗駅にやってまいりました。
京都に帰ってたので京都駅から奈良線で来ましたが、まず奈良線がすごく懐かしかったです。
東福寺、稲荷、JR藤森、桃山…とだんだん黄檗が近づいてくるのですが、近づくたびに憂鬱な気分になる感覚を味わうことができました。

途中で通過する六地蔵駅の近くには京アニ事件の現場となった京アニ第1スタジオがあります。
黄檗の2駅手前に当たります。



黄檗と言えばやっぱりここでしょう。今回の旅の目的はもちろんここに来ることです。
正門付近には人がいっぱいいましたので、むやみにカメラを向けるのはよくないと思って人が写らないように撮影しました。
開放的なキャンパスで子どもがたくさん遊んでる光景は昔と全く変わっていませんでした。

京大のキャンパスは建物に入らない限り部外者も出入り自由ですので、ソーシャルディスタンスに注意しながら中に入っていきます。
何しろキャンパス内には会いたくないやつもいます。宗林とかは言わずもがな、在学中に仲が良かった人も鉢合わせたら面倒なことになりそうです。


中庭に入りました。左側がM棟、右側がN棟です。



移転してなければこのあたりにクソーリン研があるはずです。
電気がついてるということは誰かいるのでしょうか。
土日も来てる自慢してたやつがいたような研究室ですから、平日ならいないはずがないですね!

研究室を眺めながら思い出に耽ってましたが、気配を感じて出てきたら面倒なことになること間違いなしなので足早に立ち去りました。


中庭を出てキャンパスの奥のほうに向かいます。この先に学生生協やテニスコート、排水処理棟があります。
排水処理棟も研究室の一部のようなものですのでとりあえずそこに向かいます。


懐かしの廃水処理棟。在学中に何度かここで作業をしたことがあります。


右手にあるのは松本紘前総長肝入の焼き鳥製造機研究棟です。
国立大学解体再編後は撮影スタジオとして利用すればいいのではないでしょうか。
この奥にはクソーリン研の物置みたいになってるボロ小屋があり、その裏側からキャンパス外に出られたような記憶があります。
しかしここから先へ進むと関係者と鉢合わせする危険性が大いにあるためUターンして外側から検証することにします。


キャンパス内のテニスコート。
化学研究所には「碧水会」というクラブ活動のようなものがあり、年に1回ほどテニス大会やソフトボール大会が行われてました。
私はというとホームランを連発してました。それがソフトボールなのかテニスなのかはご想像にお任せします。


居室側から見たクソーリン研。
私がいた頃も常にカーテンが閉まっていて外が見えなくなってました。
居室とは井戸端会議をする場所です。そうですよね、宗林くん。
大富豪とナポレオンの間違いだったかもしれませんが。


きはだホール。
この一角はおうばくプラザという京大の附属施設で、きはだホールの他にレストランの「きはだ」、セミナースペース、セブンイレブンが入っています。
きはだに入って何か食べようかと思ったらコロナのせいで営業してなくて残念でした。

さて、ここからキャンパス外へ出て裏手に回りました。
目的は京大宇治地区でテロがあった場合の避難方法に書いた裏口の存在を検証するためです。
前述しましたが、中から行くと鉢合わせの危険があるため外に回って見に行くことにしました。


要確認と書いてあるところがボロ小屋の裏手にあたります。


キャンパスの周辺、宇治市五ケ庄はのどかでいいところです。
在学中はのんびりと景色を眺める余裕はなかったですが、完全に外部の人間になって歩いてみると実はすごくいいところだったということに気付かされます。


記憶が確かならこの先にボロ小屋に通じる裏口があるはずですが…。


フェンスで隙間なく塞がれていて出入りはできなかったようです。

残念でした!


フェンスにカメラのレンズを突っ込んで中を撮ってみました。中にも小さなフェンスがあるのが見えます。
このフェンスは隙間が開いていて容易にくぐり抜けたりよじ登って越えられそうな感じです。
しかし外側のフェンスは背が高く、上のほうが有刺鉄線ほどではないものの縦棒で怪我をしやすい状態になってます。

私の記憶が間違っていたのか、それともここ6年ぐらいの間に外側のフェンスが作られたのかはわかりません。
京アニのようなテロが起きた場合は正門側から逃げるか、やむを得ない場合はボロ小屋の方に逃げてフェンスをよじ登ったり破る必要がありそうです。
ただしボロ小屋は本館からかなり距離がありますので、爆心地が本館にある場合はとりあえずここまで逃げたらフェンスを越えるのに少々もたついてもしばらくの間は安全です。
逆に爆心地が奥まった場所にある場合はフェンスを越えるよりも正門側からの脱出を考えるべきです。

京大のキャンパスは部外者でも出入り自由ということになっているので、出入り口が正門側の道路に面した場所にしかないのはどうかと思います。
出入り口が少ないほうが監視しやすいため、外部からの侵入には強いかもしれませんが内部の者がテロを起こした場合はむしろ脱出を遅らせて被害を大きくしてしまいかねません。
京大の上のやつらは何も考えてないのでしょうなあ。
それともアカハラを受けても脱走できないようにするためにフェンスがあるのか?

ちょうど修論で発狂して暴走する学生が出てくる時期です。破れかぶれになった学生等による爆破テロ、コロナを使ったバイオテロが起きないことを祈ります。

さて、ボロ小屋裏が開放されてないことがわかったところで他に裏口がないか探るためフェンスに沿って戻ります。


見ての通り隙がありません。
フェンスに沿っていくと途中で職員宿舎にぶち当たりますが、職員宿舎は部外者立入禁止です。

・・・

思い出の京大宇治キャンパスを探訪した後は次なる目的地である黄檗新生市場跡へ向かいます。
黄檗新生市場とは京阪宇治線の黄檗駅前にかつて存在した商店街です。

在りし日の黄檗新生市場についてはこちらで詳しくまとめられています。
絶滅寸前ほぼ廃墟マーケット「黄檗新生市場」 - 大阪DEEP案内

私が在学してた頃は市場が存在し、それが異様な空気を放っていました。
というか黄檗という土地がなんとなく陰気な感じであまり好きではなかったのですが、その原因のひとつが廃墟と化した黄檗新生市場であったことは間違いないでしょう。
卒業して2年後の2016年春に市場は解体されました。


市場の中にあった小さな花屋さんが今では市場跡に駐車場付きの大きな店舗を構えています。
いわばこのお店は市場の生き残りと言えます。

他のお店も残ってるかなと思って花屋さんの裏側を見てみましたが、空き地のような駐車場のような状態になっていました。
市場の中に在学中何度かお世話になったお店があり、店主は今どうしてるのか気がかりです。

次に向かう先は萬福寺です。
萬福寺は黄檗という地名の元にもなった黄檗宗の大本山です。
市場の入り口、今でいう花屋さんの裏手を右(南)に進んだところにあります。


総門からお寺の中に入ります。


山門。これより先に進むには課金が必要です。
学生の頃に研究室を抜け出してここを訪れたことがありましたが、500円がもったいなくてこれより先に進んだことはありませんでした。
今回は思い切って中へ入ることにします。


天王殿。


弥勒菩薩像。お腹が出てます。萬福寺と満腹をかけてるのでしょうか…。


大雄寶殿。萬福寺の本堂です。


法堂。


木々が色づいていて雲ひとつない青空や西日を受けて輝く法堂とのコントラストが美しいです。


開山堂。よく見ると柵が卍になってます。


初めて中まで足を踏み入れた萬福寺の境内はとても神秘的で時間がゆっくり進むように感じられましたが、もうだいぶ日が落ちてきました。
もう少し長居したいですがそろそろ帰ることにします。


JR黄檗駅から見た綺麗な夕焼け。
時間は16時34分ですが、この時間に黄檗駅で帰りの電車に乗ろうとするとなんとなくもやもやした感じがこみ上げてきました。
かつて毎日通っていた帰宅ルートを辿りながら電車の中で考えてたところ、まだ明るいうちに帰って嫌味を言われたり怒られた経験が関係してるようです。

当時は帰ってやりたいことがあったのだから帰る時間ぐらい好きな時間に帰らせろと言いたかったですね。

・・・

キャンパス内に立ち入った時はハラハラしましたが、懐かしかったり行きたかった場所に行くことができて良い旅になりました。
今度行ったらカフェレストランきはだのほうにも足を運びたいところですが、こうやって記事にした時点で目を付けられて絡まれやすくなるので当分の間は行けなさそうです。
きはだに行ったら食レポしようと思いますが、その前に松阪に行ってヤツの親戚が経営するレストランの食レポをしたいところです。

東京で過ごす6回目の誕生日

2020.11.25 Wednesday

今日で32歳になりました。
昼間は副業に行きましたが、誕生日ということで夕方は帰りにしゃぶしゃぶを食べてきました。

27歳から6回連続で誕生日を東京で過ごしました。
ただし東京在住の期間は5年半を超えたところです。
とはいえ来年の誕生日を迎える頃には東京在住の期間が人生の2割になると考えると感慨深いものがあります。

30代は20代と比べるとやはり変化や刺激に乏しいようで、あまり大きなイベントがないまま早くも2割過ぎてしまいました。
消費税増税やコロナによる混乱もありましたが、それらは10代の頃に経験した混乱を考えれば比較にならないほど小さなものです。

そういえばCOVID-19が最初に中国で広がり始めたのは去年の今ぐらいでしたので、COVID-19もまた1歳の誕生日を迎えたと言えます。
ウイルスと誕生日が近くても嬉しくありませんね。

アメリカの大統領も交代するようですが、これからの1年が平穏であることを願ってやみません。
来年の誕生日をまた東京で過ごすにしても京都で過ごすにしても、今日のように楽しく笑って過ごせたらと思います。

広島・福山の旅

2020.11.01 Sunday

先月4日、広島の福山に行きました。
福山市は広島県の西の方に位置し、広島市に次ぐ広島第二の都市です。



東京から広島に行くにはいろいろな方法がありますが、今回は時短で旅を楽しもうと思って飛行機を選びました。
ちなみに今回の旅の目的は友達に会うことです。

ところで松阪はどうしたんだと言われそうですが、松阪の方は諸事情によりいくべきかどうか迷ってます。
多少ためらい要素はあるもののいずれは宗林家のルーツを探りたいですが、あまり急いでるわけではないので先に福山の方に行くことにしました。

・・・


というわけで羽田空港にやってまいりました。

東京の中でも田舎の方に住んでるので羽田空港まで距離があり、朝はとても早かったです。
羽田へ行く時はいつも品川駅から京急に乗るのですが、京急=羽田に行く電車というイメージがあって乗るととてもテンションが上ります。
他の乗客も大きな荷物を持ってこれから飛行機に乗る人が大半で、それがますますムードを引き立てます。

羽田空港には出発の1時間前に到着しました。
時間に余裕があるので塗り薬を買いました。
チェックインを済ませて、荷物を預けたり手荷物検査を受けて飛行機に乗り込みます。

今回乗った便はJALのJL255便です。
飛行機に乗る時はいつも窓際で、後ろのほうの席を取ることが多いです。
今回ももちろん後ろの窓際席を取りました。


飛行機が離陸すると上空から羽田空港の全体が見渡せました。
最高の眺望です。


多摩川を挟んで手前が川崎、奥が東京です。
都心のビル群やレインボーブリッジも見えます。


ところがどっこい、今日は天気があまり良くなかったためか巡航高度に達すると雲で隠れて地面が見えなくなりました。
せっかく双眼鏡を持ってきたのに残念ですが、これはこれで美しいのでよしとしましょう。
下が見えないので機内WiFiを使ってGPSで位置を確認しながら空の旅を楽しみました。


長野と岐阜の県境付近を通過してます。


飛行機が名古屋上空に差し掛かったあたりでいちご味のたけのこの里を食べました。
ちなみに私はたけのこ派です。


たけのこの里を食べてる間に飛行機は実家のある亀岡に接近しました。
とは言っても京都市右京区京北町上空ですので亀岡からはちょっと離れてます。


母校である京都府立農芸高校の近くを通過しました。
もし雲がなければ間違いなく寮とか見えてただろうなあ。

これより先は実家より西になりますので土地勘があまりなく、眺望もよろしくないのでこれから会う人と思い出話をしてました。
位置情報を見てると中国地方の瀬戸内海沿岸よりもだいぶ内陸を飛んでたようです。
それにしても飛行機でネットが使えるとは便利な時代になったものです。


いよいよ目的地が近づいてまいりました。
広島空港は福山よりも西にあるので、一旦福山を通り過ぎてからまた福山に戻る形になります。


ところが広島空港も通り過ぎてしまいました。
これは着陸する時にUターンして西から東に向けて滑走路に進入する必要があるためだと考えられます。

機はUターンしながら高度を下げて無事に時間通り広島空港へ着陸しました。


8時40分に東京を出発して約1時間半、10時過ぎにはもう広島に降り立ちました。
あまりにあっという間すぎて「本当に広島に来たのか?」と不思議な感覚でしたが、これを見ると「ああ、広島に来たんだな」と思いました。

・・・

広島空港は広島市と福山市のちょうど中間にあります。
普段ならどちらからでもアクセスしやすいと言えますが、あいにくコロナの影響で福山行きのリムジンバスが運行を停止していたためここから空の旅と同じくらいの時間をかけてバスと電車を乗り継いで福山に向かいます。

まずは空港からリムジンではない普通のバスで三原駅へと向かいました。
地方の普通のバスという感じでしたが、それはそれで味があってよかったです。
次に三原駅から山陽本線で福山へと向かいます。電車はガラガラで景色を楽しみながらの快適な旅でした。
車窓から三原や尾道の景色がよく見えました。

そしてついに福山駅に到着。
ここで相手の車を探して無事に合流しました。

相手は女性の方です。彼女ではありませんし好きな人でもありません。お客様でも仕事上の人間でもないです。
純粋にお友達としてお会いしました。


最初に向かった先は福山駅のすぐ近くにある福山城です。


立派なお城ですが中には入れませんでした。

次にご当地グルメである尾道ラーメンを食べに尾道ラーメン竜ちゃんへ行きました。

竜ちゃん - 西新涯町/ラーメン [食べログ]

福山市内ですが尾道が隣にありますので、ここは尾道ラーメンの激戦区。
実は羽田空港へと向かう電車の中でレビューを見てこの店に行こうと決めてました。

迷わず看板メニューである尾道ラーメンを注文しました。
背脂が多いですが味はしつこくなく、あっさりしていました。
尾道に行かれる方は是非立ち寄ってみることをおすすめします。

大きな荷物を持ってきたので店員が気を利かせて荷物を入れるための箱を用意してくれました。
食事中はそこに荷物を入れてたのですが、お店を出た時に荷物に箱がくっついてることに気づかずそのまま外に出てしまいました。
そして駐車場に出た時に相方がそれに気づき、慌てて箱を店内に返しに行きました。

これはもう大笑いでした。これを超える笑いは向こう1年ぐらい出てきそうにありません。
今これを書いてる間も思い出し笑いをしてしまいます。

次に向かったのは鞆の浦。とものうらと読みます。
鞆の浦は瀬戸内海に面した港町で、崖の上のポニョの舞台にもなった場所です。
鞆の浦の沖には仙酔島があり、そこにはフェリーで行くことができます。


手前の鳥居が立ってる島が弁天島で、奥の大きな島が仙酔島です。

フェリーの料金は往復で240円ととてもリーズナブル。
1時間に3本も運行してるので、鞆の浦に来たのであれば乗らなきゃ損です。


「平成いろは丸」はディーゼルエンジンで動く船で、バスのような音がしました。
乗り心地もバスとよく似ています。バスのように安いのも納得ですね。


船が走る様子を動画に収めました。動画でお楽しみください。


もう仙酔島が間近です。あっという間の船旅でした。


仙酔島に上陸し、鞆の浦に戻っていく平成いろは丸を見送ります。


仙酔島探検のはじまりはじまり~。相方いわくここはポケモンが出没するとのこと。


小島をバックに子どもが海水浴?潮干狩り?を楽しんでます。


露出した岩盤にいかにも人工的に固められた壁が混在してる様子がいい味を出してます。


ところどころ岩肌が露出した険しい地形からダイナミックな地質活動と浸食が絶えず続いてることがわかります。


鉄を含むきれいなオレンジ色の岩盤。


海沿いの道を歩いてると砂浜にたどり着きました。
このまま島を一周して船着き場に戻ってくると思いきや、ここで行き止まりなようです。
というわけで来た道を引き返すことにしました。


戻る途中で綺麗な花が咲いてるのを見つけました。ランタナというクマツヅラ科の植物です。


仙酔島をあとにして鞆の浦へ戻りました。

この後は岡山の笠岡までドライブしたりスタバに行ったりしました。
東京にも京都や大阪にもないドラッグストアやスーパーの看板を見ると遠くに来たなぁと感じます。


福山駅で相方と別れて、駅ナカでお土産を買ってから東福山駅へと向かいました。
駅のホームから見えるライトアップされた福山城が綺麗です。

東福山駅の近くのココイチで食べてから大阪・梅田行きのバスへと乗り込みました。
翌朝には京都に到着し、しばらく京都に滞在してから東京へ帰りました。

福山を案内してくれました相方にこの場を借りて感謝いたします。

・・・

今回の旅は福山で宿泊しませんでしたのでGotoトラベル等は利用できませんでした。
しかし福山やその周辺には他にも見どころはたくさんありますので、泊りがけで行くのもおすすめです。
カップルや子連れの方はGotoトラベルキャンペーンが行われている今だからこそ泊りがけで行ってみてはいかがでしょうか。

日本学術会議なんかいらん、解体しろ!

2020.10.02 Friday

10月になりました。
私には9月の存在感がないと思えたほどあっという間で、今年もあと3ヶ月かと思うと俄然焦りが出てきます。
残りの3ヶ月、まだやりたいことはたくさんあるのでなるべく先延ばしにせずこなしていきたいと思います。

その1つとして宗林家のお膝元である三重県松阪市に行く計画がありますが、まだ実現できてません。
Gotoトラブルキャンペーンとやらは東京が対象になろうが私には関係のない話でした。
旅に出る時はいつも宿泊はネカフェです。いくらホテル代が割り引かれようがネカフェには勝てないので一人旅ならネカフェに泊まったほうが得です。
宗林家の人が経営するホテルや旅館があれば少々高くてもお金を落としてあげたいと思いますが、私が調べた限りでは宗林家のホテルや旅館はありませんでした。
宗林家の人が経営するレストランなら知ってますので松阪に行った時は食レポします。それまでに潰れてなければいいのですが…。
その店がGotoイートに対応してるのであれば利用したいと思います。

店長さん、もしかしたら京大の教授をやってる親戚が店をたためなどと余計な口出しをしてくるかもしれませんが無視して店を続けてくださいね!
(流石に京大クビになった後の貴重な再就職先に向かって店をたためと言うほど馬鹿ではないか!?)

・・・

それでは本題に入ります。
京大の教授が~と前述しましたが、教授というのは横柄な人間が多いので私は基本的に教授や学者という人種が嫌いです。
前はそこまで嫌いではなかったのですが、松阪出身のある人物のせいで嫌いになり、特にあからさまに横柄な態度を取る者は蛇蝎の如く嫌ってます。
大学から離れた今でもネットには横柄な学者連中がうようよいて、時たまブログを荒らしたりクソリプを飛ばしてきます。

もちろん全部の学者がそうではありません。というか一応私も学者の端くれというか、一味であるわけです。
学者が学者たる条件は大学に所属していることではありません。学問に興味を持って情報をインプット、アウトプットすれば誰でも立派な学者です。
アマチュアとプロの違いはありますが、それはスポーツや芸術の世界と同じです。

マトモな投資家が相手にしないような研究ばかりして国に研究費を乞食してる連中がプロと言えるかというとかなり怪しいですが!

さて、横柄な学者にはある法則があることに気づきました。
Fラン大学のような場所には横柄な学者はあまりいません。いたとしてもその大学の学生にだけ横柄な態度を取るような内弁慶です。
横柄な学者がたくさんいるのは国立大学、特に旧帝大です。

無駄に社会的地位があると人間は気が大きくなります。
学歴や地位は自分が偉いことの裏付けになると思い込み、横柄な態度を正当化します。
周りの人間もそれに同調するため横柄が横柄を強めていくポジティブフィードバックが働くわけです。
そうなるとしばしば周りの人間も虎の威を借る狐のように横柄になっていきます。

そして政治家はそれを利用します。
政治家は自分の言動を正当化するために権威のある学者を腹話術人形として使います。
学者は学者で政治家と関わることで箔が付きます。
これが政治の御用学者です。

・・・

日本学術会議とは言ってしまえば政府の御用学者の集まりです。
さらに言えば政治家の腹話術人形ばかりを集めた劇団です。

この中に入る時は御用学者でなくとも、大抵の学者は中にどっぷり浸かってるうちに御用学者化します。
中にいて政府に都合の良いことを言ってれば収入と地位が保証されるのですから当然でしょう。
今どき学者の就職はかなり厳しいですから、生活のためなら学者の良心をかなぐり捨てるのは簡単です。(ほとんどは最初からないだろうが。)

それが嫌ならメンバーから外されるのを甘んじて受け入れるか、口だけ周りに合わせるしかありません。

何やら日本学術会議のメンバーから外された人が学問の自由が侵害されてるなどと文句を言ってるようですが、そもそも日本学術会議なる組織が存在していること自体が学問の自由の侵害です。
外されたことに文句を言う人も浅ましい権威主義に固執してるという点では同じ穴のムジナと言えます。

学問の自由云々を言うなら日本学術会議なんか解体しろ!ぐらい言えよ。

もちろん日本学術会議は解体すべきです。
というか福島原発事故の時点で御用学者を作るようなシステムは全部潰すべきでした。
福島原発事故の時には原発御用学者を叩いて自分らは違うというアピールをしてたようですが。

潮流が変わった今では原発御用学者が自然エネルギーや温暖化の御用学者にすり替わったようですね。
なんという権威主義に乞食根性、ここまで往生際が悪いともう開き直ってるのかと思えてきます。

国立大学も日本学術会議もいらないのでさっさと解体してください。
異議があると言う会員さんはこんな組織自分から捨てませんか。

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