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高等教育の費用対効果はかなり悪い

2019.04.12 Friday

やっと暖かくなったと思ったら不意打ちのように寒くなり、東京では雪が降って桜がかなり散ってしまいました。
季節の変わり目で体調を崩さぬようくれぐれも気をつけてお過ごしください。

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先日、文系の女性研究者が自殺しました。一歩間違えてたら私もこうなってた可能性があります。
博士が100人いる村という創作があります。博士課程を出ることがまず大変で、博士号を取得する前に死ぬ人もたくさんいるのですが、無事に取得したとしてもそのうち19人は就職できずニートになり、8人は行方不明になります。
行方不明の内訳はおそらく自殺です。

昔はよく「末は博士か大臣か」と言いましたが、今や博士の末がこれですし大臣は大臣で石巻が読めずに辞任に追い込まれる時代です。

私は修士課程を出てますが、もともとは博士志望でした。博士課程に引きずり込まず門前払いにしてくれたクソーリンには感謝してます。
日頃悪口を言ってますが感謝してますよ。
博士号を持っていても教育学は知らないし分野がちょっと違えば何もわかってないし、そのくせ他人には「君は何もわかってない」と言う、そういうレベルの人間を出すのが博士課程であり国策の高等教育なのだということを身をもって教えてくれました。

連中も私の悪口を言いまくってるでしょうな。私の悪口を言えば言うほどこんな馬鹿を出した自分らの無能ぶりをお仲間、大学当局、文科省、世間様にさらけ出すことになるのでドンドン言ってください。

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ところで、私が博士課程に行こうと思ってたのは研究者になりたかったからです。
子どもの頃から知的好奇心の塊のような人間で、SFの漫画や小説をよく読んでました。
また農家の家系ですので農業に興味があり、高校は農業高校に進学しました。

農業高校で植物学を勉強し、私立大学では生物学科に進学して植物から全ての生物に範囲を拡大し、そして生物を理解するには化学の理解が必要だということを強く感じて大学院は京大の化学に行くことにしました。
生物一本では就職も厳しいので潰しの利く化学へ、という考えもありました。

生物と化学は全く違うとか言ってる人がいますがそんなことはありません。化学と生物学は延長線上の関係ですので生物学を突き詰めていくと自ずと化学にたどり着きます。

化学と生物学の関係

こうしてやっと京大の化学に入ったわけですが、あいにくクソ研究室に入ってしまったためアカデミックに見切りをつけるきっかけとなりました。

もし優良研究室に入ってたら良かったかというとそういうわけではなく、永久にそこにいられるわけではないのでいずれクソ研究室に飛び込むことになったと思われます。
今ぐらいの歳になって初めてクソ研究室に入ってにっちもさっちも行かなくなることを考えれば早めにクソに出会っておいてよかったです。

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日本は学歴社会で、大学進学率は短大を合わせると6割近くになってます。高学歴だからといって頭がいいとは限りませんし人間性がクソなやつはいくらでもいます。私も京大卒に相応しい人間かというと怪しいですね。
これはつまり学歴という単なる共同幻想に過ぎないもののために若者の貴重な時間と、労働力と、お金が無駄になっているということです。

勉強だけなら図書館があればできますし、誰かに教えてもらわないとできないタイプの人なら民間のスクールにでも通えばいいのです。
ところが図書館や民間のスクールでは学歴がもらえません。今の学歴社会では実力があっても学歴がないと評価されないので、学歴をもらうためには大学に行くしか仕方がないのです。
もちろん大学の方も足元を見てますので、適正価格の5~10倍ものぼったくりの学費を吹っかけた上にアカハラが蔓延した粗悪な教育を売りつけます。粗悪さは国策と税金で保護されてる国立大学ではより顕著です。

特に大学院重点化は完全に失敗です。平成の負の遺産を令和に持ち越すことになってしまいましたが早めに元に戻しましょう。

学歴社会の弊害は高学歴・高所得ほど子どもが少なくなるというところにも出ています。
これは優秀な人ほど学歴取得のために無駄な時間を消費することを強要され、生殖に対してはそれが機会損失になってるのだと言えます。
本当に優秀な人は中学ぐらいから頭角を表して勝手に勉強して勝手に成長しますので、それに応じて早く社会で活躍できるようにすべきなのです。
無駄に学歴を積むとアカハラにあって才能が潰されるリスクもあります。

国公立大学に国策で多額の税金がぶっこまれてきた建前として「高等教育への投資は社会的見返りが大きい」という前提がありますが、それは完全に間違ってます。学歴社会が少子化を助長していることからも明らかです。

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収量漸減の法則という、経済学の経験則があります。
横軸に投資額、縦軸に収量をプロットすると投資回収率は「∩」の形の曲線になります。
すなわち、ある程度までは投資額を増やすと収量はそれ以上に増えるのですが、行き過ぎると収量が悪化するということです。
これはもともと農業の経験則ですが、車の燃費やフラッシュメモリの容量と耐久性の兼ね合いなど様々なことに当てはまります。
おそらく単なる経験則というよりは数学的な裏付けのあるれっきとした物理法則であろうと考えられます。

そして教育も例外ではなく収量漸減の法則に支配されています。
家庭教師をやっていた頃、0点近い点を20点に引き上げるのはものすごく大変でした。ところがそれよりもずっと少ない労力で30点を60点に上げることができました。
じゃあ同じだけの労力で60点が90点になるかというとなりません。90点を100点にするのはもっと大変です。

つまりこういうことなのです。税金による教育の投資は費用対効果の高いところにすべきであり、費用対効果の悪い高等教育に投資する前に義務教育の問題をなんとかすべきです。
また、幼児教育も費用対効果が悪いので税金を突っ込むのはナンセンスです。今回の記事では触れませんが幼児教育無償化も大変な弊害を生みます。

一方で義務教育の問題、例えば発達の遅い子が教育から取り残される問題を解決すれば非行、引きこもり、バイトテロ、無免許運転など様々な社会問題を減らすことができます。
これは一握りのICP-MSが使える人材を育てるよりも遥かに費用対効果が高いはずです。

実は税金による公教育の妥当性についても疑問を感じつつあるのですがね。

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令和は平成の負の遺産である大学院重点化が終了し、国公立のボンボン学校や国公立大学が民営化されて国家による教育の統制が瓦解し、そして必要な人が必要な教育を適正な価格で受けられる時代になればと思います。

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