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人の上に立つ人間は人一倍高潔であるべき

2021.07.23 Friday

東京2020オリンピックがついに強行されることになりました。
そして小山田圭吾、のぶみ、ラーメンズなどボロが次々に出て炎上聖火リレーの様相を呈しています。

今回の記事では彼らの炎上、特に小山田圭吾に絞って人の上に立つことの重大さについて取り上げたいと思います。

・・・

小山田圭吾はコーネリアスというバンドに所属し、オリンピックの開会式の曲を担当するはずでした。
しかし1995年に投稿した雑誌の記事で義務教育の頃にいじめをしてたことを自慢していたためそれが蒸し返されて炎上し、曲の制作から外れることになりました。
雑誌に投稿したのは27年前、いじめは40年前の話です。かなり昔のことなのでSNS上でもいいのでしっかり謝罪すれば許された可能性も高かったでしょう。
ろくに謝罪もせず辞任で終わらせようとする態度も炎上に油を注ぐことになりました。

大昔のことを蒸し返されてかわいそうだと言う人がいますが、小山田の悪行は業界では有名でした。
私も以前存在した「クソガキどもを糾弾するホームページ」を見ていじめをやってたミュージシャンの存在自体は知ってました。

コーネリアスこと小山田圭吾の悪行(ウェブアーカイブ)

おそらく雑誌に掲載された後も音楽仲間にはいじめを武勇伝のように自慢してたのでしょう。

・・・

小山田のファンの中には擁護する人も少なくないようで、ツイッター上ではそれが論争を巻き起こしています。
例えば「作者と作品は別」という論調をここぞとばかりに吹聴する者が多数出てきました。

この意見に対して私は「クソが作ったものは問答無用でクソ」だと考えます。
コーネリアスの曲をユーチューブで聴いてみましたが特にいい曲とは思えませんでした。
これが小室哲哉のような作風なら結末もまた違ったかもしれません。

実際に小室哲哉は逮捕されたことがありますが、現在では復帰していてファンもたくさんいます。私も小室哲哉のファンです。
小室哲哉はそれほど問題のある人物ではなく、単に世渡りが下手だったためにトラブルに巻き込まれたのだと私は考えてます。
本当に小室哲哉が悪人ならあれだけのヒットを出すことはできなかったでしょう。

翻っていじめをするような心の汚れた人物に良い芸術作品が作れるでしょうか。答えはノーでしょう。

これは小山田から炎上聖火が引き継がれたのぶみを見てるとよくわかります。
のぶみは絵本作家ですが、子どもに読ませるには大いに問題のある絵本を書いてるため子育てをしてる人からは蛇蝎の如く嫌われています。
のぶみの絵本を読んだことがありますがどれもこれも酷いものでした。いくつかまともな本もあると思ったら今度はパクリだったというオチ付きです。

のぶみがクソであることはのぶみの作品がクソであることとセットだという意見に多くの人は異論がないと思います。
ところが小山田に関しては彼の音楽が好きだという人が一定数いて、それがどうやら「作者と作品は別」という派閥と、「作品が悪くないので作者も悪くないはずだ」という派閥に分かれているようです。

歴史上の芸術家の中に性格に問題があったと言われてる人は少なくありません。
生きてないことをいいことに事実とは異なる人物設定を付け加えられたケースもかなりあると思われますが、それが事実だったとしても作品に対する評価は揺るぎないものがあります。
このことから、作者と作品を分けて評価する論調にも一定の社会的コンセンサスがあるようです。

・・・

では小山田が小室哲哉のような万人受けする曲を作っていたら辞任しなくてもよかったのでしょうか。
それもまたノーです。

オリンピックの開会式の曲を作曲するとなればそれは日本を代表する作曲家として名乗りを上げるも同然です。
東京2020に参加することはどうやら不名誉な経歴になりそうですが、本来であればオリンピックに携わるのは他の作曲家から眺望の眼差しで見られるようなことです。
そして本来であればこの経歴はキャリアとなり、オリンピック後は多くの作曲家を指導する立場になっていくことでしょう。

このことはすなわち人の上に立つということに他なりません。
人の上に立つということは他人の人生や社会に大きな影響を与え、多くの人のお手本になるということです。

お手本になる人がいじめをするような人でいいでしょうか?

いい訳ありませんね。
作曲に限らず、人の上に立つ人間は人一倍高潔であるべきです。
これは日頃から批判している国立大学の教員にも当てはまります。

性格が悪くても研究実績さえ上げてたらいいという話ではないのです。
地位にかこつけて多くの学生や研究者を指導する立場であるからこそ人間としての高潔さが求められるのであり、それなしにはいくら研究能力に長けていても地位を与えてはいけません。
もし地位にかこつけてハラスメントを行うような者がいたら直ちにその地位を剥奪すべきです。

・・・

また、人の上に立つということはその下にいる人の責任まで引き受けるということでもあります。
小山田はいい歳ですので既に多くの後輩を指導されてることでしょう。もしその後輩がいじめなどをしていたらそれは小山田の責任でもあります。
音楽にしても学術研究にしてもろくでもない指導者のもとでろくな人間は育ちません。
負の連鎖を起こさないという意味でも人の上に立つ人間は高潔でなければならないのです。

冬の沖縄旅行記 3日目

2021.07.08 Thursday

冬の沖縄旅行記 1日目2日目の続きです。

気づけばあれから半年近くなりますが、本日7月8日は那覇の日なので今日で沖縄旅行の記事を完結させます。


沖縄に来ることは滅多になく、次がいつになるかもわからないので1日目と2日目でお土産を大量に買いました。
ここに写ってる他にさらに空港でも買ったのですが、これだけ買っても帰ってから2週間ぐらいで全部なくなりました。
チンアナゴドロップは好きなツイキャス配信者に贈るお土産です。

これだけお土産があると荷物をまとめるのも大変です。
お土産が破損しないように荷物の詰め方を工夫しました。

ホテルのチェックアウトは11時、飛行機の出発は13時です。
そして12時にはゆいレールフリー乗車券の期限が切れるので急いで空港へと向かいます。

・・・と言いたいところですが、空港へ向かう途中で行きたい場所があったのでそこに立ち寄ることにしました。



はい、何の変哲もない公園ですね。


ん?



漫湖公園、なんと素敵な名前の公園でしょうか!

この公園は桜、藤、ハイビスカスなど多種多様な花が植わっていて見頃になると写生大会が行われるそうです。
沖縄と言えどもさすがに冬だと花はポツポツとしか咲いてませんでした。

このすぐ近くには漫湖という湖があります。漫湖にある公園だから漫湖公園、そのまんまですね。
漫湖水鳥・湿地センターという博物館的な施設もあるので行ってみたかったですが、あいにく時間がないので空港へと急ぎます。
漫湖公園は空港からあまり離れてないので、帰るまでのちょっとした時間つぶしにはおすすめです。

次回来た時は漫湖水鳥・湿地センターに行ってみようと思います。

・・・

フリー乗車券の期限が切れる前に無事空港に到着しました。


沖縄うどん。ラフテーが入ってます。

まだまだ時間があるので前述の通りお土産を追加で買いました。
そしていよいよ飛行機に乗り込みます。


行きはスカイマークでしたが帰りはピーチです。また、行きは羽田空港から出発しましたが帰りは関西国際空港行きです。
つまり、広島の時と同じく実家に帰るということです。


那覇空港は滑走路を自衛隊と共有してますので、自衛隊機や自衛隊の格納庫が見えます。
陸海空、全ての自衛隊施設が那覇空港にあります。


さらば沖縄、また会う日まで。


何やら美しい島が見えます。手前から神山島、クエフ島、ナガンヌ島、奥に見えるのが前島とその周辺の島です。
どれもとても綺麗な島のようなのでいつか行ってみたいです。


あっという間に飛行機は雲の中へ。飛び立ってから7分程度ですが、もう美ら海水族館の近く、伊江島の沖に差し掛かってました。


徳島上空。広い谷を流れる川は吉野川です。
なんか既視感のある景色だなと思ったら、2008年にオーストラリアに行った時の帰りにもこの景色を見たのでした。
この景色を見ると「ああ、もうだいぶ帰ってきたんだな・・・」と思いますが、2008年のそれは帰ってから怒られることが約束されていたため、かなり気が重かったです。

今回はもちろん帰ってから怒られるようなことはありませんが、ちょっと嫌なことを思い出してしまいました。


明石海峡大橋。小さく見えますが実物は巨大です。


神戸空港。このすぐ近くを通ってぐるっと旋回して関西国際空港に着陸します。

2時間のフライトはあっという間でした。
実家に帰るにはここからさらに3時間かかります。

関空特急はるかは運休していたようなので鈍行で帰りました。


JR京都線の車窓から。

家についた頃には18時を過ぎてました。

・・・

今回の沖縄の旅はあっという間でしたが、冬場ということもあって観光客も少なくのんびり楽しむことができました。
是非来シーズンも行ってみたいです。
美ら海水族館など同じところに行ってみるのもいいですが、沖縄本島だけではなく周辺の島々を訪れたり、さらに数百キロ足を伸ばして石垣島や宮古島にしてもいいなと思いました。

また、今回は前回の広島と違って完全なる一人旅でした。
一人旅ってこんなに楽しいんだなあと気づいたのが今回の旅の大きな収穫であります。

関西圏や関東圏の一人旅はよくしてましたが、一緒に行く人がいないので仕方なく1人で行ってるようでどことなく寂しさを感じる旅になりがちでした。
しかしこの沖縄旅行は1人でも全く寂しくなく、むしろ1人でいることを最大限に楽しめました。

これは沖縄が一人旅に適しているのか、それとも歳のせいなのでしょうか。

冬の沖縄旅行記 2日目

2021.05.31 Monday

だいぶ間が開いてしまいましたが、冬の沖縄旅行記 1日目の続きです。

1月16日、この日は今回の旅のメインでもある美ら海水族館へと足を運びます。


乗車する那覇バスターミナルは旭橋にありますので、ゆいレールで2駅隣りの旭橋へと向かいます。
朝9時36分にホテルを出ました。


美栄橋駅から撮影。遠くにタワマンが見えます。
住んでるのは本土からの移住者でしょうか。

旭橋でバスに乗り込み、美ら海水族館への長い旅が始まります。
普段夜行バスは年間10往復以上とかなり高頻度に利用しますが、昼間の高速バスはめったに利用しないのでとても新鮮でした。
バスからの景色を眺めてるだけでいくつものおもしろい発見がありました。


那覇はタワマンが立ってるほどの都会ですが、沖縄の大部分の土地は本土と同じく田舎です。
バスが沖縄唯一の高速道路である沖縄自動車道に入るとあっという間に田舎の景色に変わりました。

しかし本土とは少し様子が違います。
本土は比較的険しい山が多いですが、沖縄はこの写真のように山がなだらかで平坦です。
これは地質活動があまり活発ではなく浸食が優位な状態であるからと考えられます。

沖縄諸島はフィリピン海プレートの沈み込む場所にあり、かつては活発な隆起や火山活動があったのでしょう。
しかしある時プレート同士の力関係が変わったことにより沖縄の火山は鳴りを潜め、本土や小笠原諸島がその分活発になったようです。
地質活動による災害がないのはいいことですが、台風には毎年見舞われるため遠い未来に沖縄は浸食されてなくなってしまうかと思うと少し寂しいです。

また、バスの車窓からは時々米軍の車両をお目にかかることができました。
もっとも米軍車両は東京の横田基地近くで見慣れてますのでさして珍しいものではありません。
しかし沖縄にあって東京にはないものがあります。それは米軍基地反対運動です。

今までテレビやネットでしか見たことのない米軍反対の看板や垂れ幕を途中で何度も見かけました。
米軍反対の看板は横田基地周辺で探しても決して見つからないものです。なぜ沖縄ではこれだけ米軍が嫌われてるのか不思議に思いました。
その理由は帰りに明らかになります。

・・・


バスの中で沖縄音楽を聞いたり沖縄の歴史や人々の生活について思いを馳せてるうちに沖縄海洋博記念公園に到着しました。




海の生物をモチーフにしたオブジェがありました。
1月とは思えないぐらい花がきれいに咲いてます。


向こうに見えるのは伊江島です。
島の真ん中に乳首のように山がありますが、沖縄本島の地形と同じく全体的に扁平です。

ここから水族館の中に入っていきます。




水槽の魚の写真を取るのは結構難しく、デジカメで撮影するとなぜか青みがかかってしまうことに気づきました。
そこそこ高性能なデジカメを持ってきましたが、なぜかスマホのほうがきれいに撮れるようです。
この3枚の写真を含めて水族館ではスマホのカメラで撮影することにしました。


スイミーのモデルとなった魚でしょうか。
赤い魚に混ざって黒い魚がいないか探しましたがいないようです。


みんな大好きチンアナゴ。


美ら海水族館のシンボルのジンベエザメ。とても巨大です。
海水浴や釣りをしてる時に会ったら絶望しそうですが、攻撃性は低く人を襲うことはほとんどないとのこと。
サメでありながらサメらしい凶暴さがないことがジンベエザメが愛されてる理由でしょうか。


エイの赤ちゃんの骨。可愛いく見えたので思わず写真を撮りましたが、骨になってるということは死んでるということなのでこの形は死の直前の体勢なのでしょう。
それがどういう状況だったか想像すると可愛いと言ってしまうのは罪なことのように思えてしまいます。


上から差し込む光が幻想的で、魚たちがまるで空を飛んでるみたいです。


沖縄に熱水噴出孔があるということは火山活動は完全に止まっておらず今でも静かに続いてるようです。


ステイホームのプロだって(笑)

展示エリアの先にはお土産屋さんがあり、お土産を買って外に出ました。


ウミガメ。人馴れしてるのか人懐っこかったです。




何度見ても飽きない美しい景色です。


ハイビスカスが咲いてました。

水族館の次は海洋文化館に入りました。
海洋文化館のメインはプラネタリウムですが、チケットを買ってから上映までまだ時間があったのでたまたまイベントでやってた1階のダンボール迷路に入ってみました。
すぐ出れるだろうと思ってたらところがどっこい、なかなかゴールにたどり着けません。
上映に遅れると入れなくなるのですごく焦りましたが、結局20分ぐらいで出てこれました。

時間が余ったので海洋文化館の展示エリアを先に見ることにしました。


昔の人が航海に使った船。
写真だとまるでわらで出来てるように見えますが、実物は結構しっかり作られています。
当時の人にとって航海は現代人が宇宙に行くようなもので危険に満ちたものであったに違いありません。
昔の船が展示されてるコーナーにとてもロマンを感じる解説文があったので写真を撮っておけばよかったです。
次来た時は忘れず撮影しようっと。

さて、時間が来たのでプラネタリウムに入りました。
ネタバレは避けますが、安い割にはとてもよかったです。
皆さんも美ら海水族館に来た時はぜひ海洋文化館のプラネタリウムに立ち寄りましょう。

水族館、お土産選び、散策、ロマンに耽る、プラネタリウム、あっという間に時間が過ぎていい時間になってきたので、そろそろ那覇に戻るためバス停へと向かいました。


虹が出てます。



写真を見てお察しだと思いますが、バスを待ってる間にちょうどいいタイミングで天気が崩れてきました。
1日目の暑さに懲りて薄着で来たのでちょっと肌寒かったです。

・・・

帰りのバスは途中で渋滞に巻き込まれました。
バスの中で沖縄の渋滞についてネットで調べてみたところ、鉄道がゆいレールしかない沖縄は車社会なので渋滞が日常的に起こっているようです。
渋滞が起こるなら道路を太くしたり増やせばいいではないかと思いますが、それができない事情が沖縄にはあります。

それは…米軍基地です。
沖縄の土地のかなりの部分が米軍基地として使われており、しかも平坦な場所に基地が作られるので街が基地で分断されてるような場所があちこちにあります。
直線距離では近い場所でも間に基地があると迂回しなければならず、迂回する経路に交通が集中するため渋滞が発生しやすくなります。
どうやらこれが沖縄で米軍基地が嫌われてる大きな理由でもあるようです。

・・・

那覇に戻り、1日目に行ったうみちゅららにもう一度向かいました。
美ら海水族館でもお土産を買いましたが、バスの中で友達からお土産のリクエストがあったからです。

お土産を買ったら次は夕飯です。
2日目は飛梅 久茂地店で食べることにしました。




今回も食べ放題なので昼の分まで食べました。

このお店は飲み屋です。
コロナになったら嫌なので飲み屋じゃない店を帰りのバスで一生懸命探してましたが、ゆいレール沿線にあって値段も手頃な店が昨日の店以外になかったので仕方なく飲み屋に入りました。
しかしそれは結果的に良かったです。
ガラガラでコロナがうつるような状況とはほど遠く、コロナ対策もそれなりにされてたので次回来たときもここで食べようと思います。

・・・

2日目は行きたかった美ら海水族館にも行けてとても良い日になりました。


本日の移動。

日本地図で見る沖縄は小さく見えますが、実際の沖縄は想像以上に大きくて移動にも結構時間がかかることを実感しました。
また、レンタカーを利用しなくても沖縄旅行は十分に楽しめることもわかりました。

沖縄旅行の計画を立ててた頃、「運転できないのに沖縄旅行?」とか言ってくる人がいましたが、ここで断言します。

運転しなくても沖縄旅行は楽しめます!

むしろ沖縄の渋滞を知らない人がレンタカーで美ら海水族館に行こうとすると大変なことになりそうです。
場合によっては渋滞のせいで帰りの飛行機に遅れるとか、そういうこともありえます。
その点バスの運転手はプロですから、渋滞とうまく付き合って遅れを最小限にする術を持ってることでしょう。
土地勘のない場所で乗り慣れてない車を運転する度胸は私にはないです。

3日目に続く。

冬の沖縄旅行記 1日目

2021.03.31 Wednesday

3月24日で東京に引越して丸6年を迎えました。
6年前は自転車に乗って東京に来て物件探しをしましたが、あれからもう6年になるのです。
上京4年記念で行った高尾山でさえ2年前の話かと思うと、時間の流れは本当にあっという間だなと感じさせられます。

そういえば去年の今頃に上京5年記念と称して日暮里の宗林寺に行きましたが、それも結局記事にできてません。
宗林家と宗林寺に直接の関係はなかったのでそれ単体では記事にしない予定ですが、綺麗な桜の写真が撮れたので、今後松阪に行って宗林家を詮索するネタを記事にした時に掲載しようと思います。

・・・

それではネタが古くならないうちに本題に入ります。
今年の1月に生まれてはじめて沖縄へ行ってまいりました。一人旅です。

なぜ沖縄に行こうと思ったのか、それは航空券がとても安かったからです。なんと行き帰りともに1万円でお釣りが来るような値段で取れました。
昨年10月に福山に行った時と同じように帰りは実家に寄りたかったので、行きは羽田発那覇行き、帰りは那覇発関西行きの航空券を取りました。
1月15日から17日の2泊3日の旅です。

・・・

もともと15日の午後に飛行機に乗る予定でしたが、それが欠便になってしまったため早朝の便に変更になりました。
自宅から羽田空港は距離があり、寝坊すると一発で詰むので前日の夜のうちに空港の近くで泊まることにしました。
幸いにも友人の車で羽田空港の近くまで連れて行ってもらい、車内泊をした後に余裕を持って早朝の便に乗り込むことができました。
あまりにも時間が早かったのでまともな店が開いておらず、朝食はお菓子や弁当を買って機内で食べることにしました。


福山の時と同じく右の窓側の席を取りました。前回はJALでしたが、今回はスカイマークなので主翼にハートマークがついてます。


右は言わずと知れた富士山。左に見えるのは南アルプスこと赤石山脈。


赤石山脈にさらに近づいたタイミングで撮影。この中に富士山の次に標高が高い北岳や、赤石山脈の名前の由来となった赤石岳が含まれますので拡大してよく観察してみてください。

ここから機は南西に針路を変えて太平洋の上を飛び続けることになりますが、ちょうどこのタイミングで客室乗務員が来て空いてる席を案内してくれました。
その時に左側の席に変わりました。


静岡の御前崎あたりで太平洋に出て、ここから到着までほぼ同じ景色が続きました。
残りの時間は一旦景色から離れてパソコンで作業をしたり食べながら過ごすことにしました。


飛行機に揺られること3時間、ついに着陸です。沖縄のエメラルドグリーンの海がすぐ下に見えます。


那覇空港に到着しました。綺麗な魚たちが出迎えてくれました。


空港のすぐ近くに南国を感じさせる森があります。つい3時間ちょっと前は東京にいたことが信じられないですが、それを見て南国に来たんだなぁと思いました。

ところで沖縄旅行はレンタカーを借りるのが王道のようです。しかし私はゴールド免許(意味深)ですのでレンタカーは借りず公共交通機関と徒歩で移動します。


よく「沖縄には鉄道がない」と言われますがそれは嘘です。ゆいレールがあります。あれ、モノレールは鉄道に入りましたっけ???
それはともかくこれから3日間、このゆいレールをメインで使って那覇市内を散策しますので、ゆいレールの2日フリー乗車券を購入しました。



沖縄に到着して最初に向かう目的地は瀬長島です。
瀬長島は那覇空港のすぐ横に位置し、最寄り駅は隣の赤嶺駅ですので1駅だけゆいレールに乗ります。


赤嶺駅は日本最南端の駅なんですね。自撮り趣味はないので空っぽの状態で記念撮影。

さて、空港の横の島なので歩いてすぐ着くかと思いきや案外距離があり、3キロは歩きました。
1月だというのにぽかぽかと暖かく、歩いてると暑くなってきたので上着を脱ぎました。
今朝の東京がとても寒かったのがまるで嘘のようです。


エメラルドグリーンの海は見ていて飽きません。


瀬長島に到着しました。



瀬長島のウミカジテラスにあるGallirallus (ガルリラルルス)というお店に入りました。
ビー玉のような寒天の中に本物のお花が入ってます。
美しい沖縄の海をバックに写真に収めると絵になりますね。



これが1月の景色に見えますか?


瀬長島の山のほうはこんな感じ。
右奥にはホテルがあり、左がさっき行ったウミカジテラスです。

アロハシャツを売ってる店があったので買おうと思いましたが、高かったのと露出の高い服装は蚊に刺されそうなのでやめました。
暖かいということはつまり1月でも蚊がいるということです。

瀬長島をあとにして、来た道をそのまま戻って赤嶺駅へと向かいます。
2日目は美ら海水族館に行きますのでバス券を買いに行く必要がありますが、荷物が多いので一旦ホテルに行って荷物を置くことにしました。

もともとネカフェに泊まろうと思ってましたが、旅に出る前に好きな人(最高のクリスマスから1年を参照)がちゃんとしたホテルに泊まることを勧めてくれました。
GoToは使えませんでしたが、それでも非常にコスパの良いホテルを見つけましたので皆様にも紹介します。


グリーンリッチホテル那覇は通常の部屋と男性専用のキャビンルームの2種類があり、私はもちろんキャビンルームのほうに泊まりました。
キャビンルームとはカプセルホテルのようなもので小さな部屋が2段構成でたくさん並んでいます。

GoToなしでも1泊2000円で泊まれましたので、男性の皆様には是非おすすめです。



最寄り駅はゆいレールの美栄橋駅です。
駅からは徒歩8分と少し離れてますが、街歩きを楽しめる人には全然苦にならない距離です。


歩道橋から見た那覇の街並み。


県庁前駅からの眺め。なんとなくさいたま市の浦和駅周辺と雰囲気が似てるような気がしますが、気のせいでしょうか。


程よい都会度です。

那覇バスターミナルに行って美ら海水族館に行くバス券を買いました。
往復のバス券を2900円で買うことができました。
窓口の人の話し方がとても特徴的だったので、外国の方か聞いてみたところウチナーンチュ(沖縄人)でした。
そして私が関西出身者であることが一発でバレました(笑)



有名な国際通りを歩きます。
国際通りはすごいとかやばいとかよく聞きますが、実際に行ってみるとよくある地方都市のメインストリートです。

国際通り沿いにある「沖縄美ら海水族館アンテナショップ "うみちゅらら"」でお土産を買いました。
お店に入ったときに女性店員がお菓子をいろいろ試食させてくれたので、それを参考にお土産を選びました。
とりあえずちんすこうは外せませんね。
買いたいお土産はたくさんありましたが、明日美ら海水族館に行くので程々にします。

・・・

午前中に沖縄に上陸しましたが、あっという間に時間が過ぎてあたりは暗くなってきました。
よく考えると昼食はあの綺麗なジュースだけだったので夕食はバイキングでガッツリ食べたいと思いました。
ところがバイキングの店がなかなか見つからず、1日目は焼肉五苑アクロスプラザ古島駅前店に行くことにしました。



バイキングなので昼の分までガッツリ食べました。
しかしここは沖縄料理の店ではないので、2日目は沖縄料理の店に行きたいと思いました。

ゆいレールでホテルに戻って大浴場に入り、明日の美ら海水族館を楽しみにしつつ眠りにつきました。
予定よりずっと早く沖縄に上陸してあちこち散策できた、とても充実した1日でした。



本日の移動。
飛行機の距離はすごいですが、まだ沖縄のほんの一部しか見てない感じです。
地図で見る沖縄は小さな島ですが、実際に行ってみると想像以上に広かったことを明日知ることになります。

2日目に続く。

DNAに残る人類とウイルスの攻防戦

2021.02.23 Tuesday

先月あるところに旅行したので旅行の記事を書きかけてましたが、人類とウイルスの攻防戦の歴史について興味深い話が出てきましたので今回はそれについて書くことにします。
旅行ネタは次回の楽しみにしててください。

・・・

人類とコロナウイルスの戦いはいつ頃から続いてきたのでしょうか。
この問に対して、OIST・沖縄科学技術大学院大学のスバンテ・ペーボ教授の研究グループから興味深い研究結果が発表されました。

ネアンデルタール人由来 遺伝子が“重症化予防”|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

この記事ではコロナの重症化を予防する遺伝子、そして重症化の原因となる遺伝子がネアンデルタール人から受け継がれたと述べられています。
また、重症化遺伝子は重症化を予防する遺伝子の5倍も影響が強く、両方の遺伝子を持ってると重症化のほうが勝ってしまうことがわかっています。

さらに両遺伝子とも世界中に均一に分布せず、重症化を予防する遺伝子はアフリカ以外に広範囲に分布し、重症化遺伝子はヨーロッパで最大16%、南アジアではなんと60%もの人が持っているのです。
ほとんどの日本人や中国人は重症化を予防する遺伝子のみを持っています。

・・・

過去記事に書きましたが、国内のコロナ感染者の多くは外国人であることがわかっています。

COVID-19は「ただの風邪」なのか
では一体なぜ日本人はCOVID-19に強いのか。これはCOVID-19のスパイ遺伝子を持ってる割合が低いからではないかと考えられます。
スパイ遺伝子とはウイルスに協力して中から破壊活動を行う遺伝子のことで、例えばヘルペスウイルスの一種であるHHV-6のスパイ遺伝子であるSITH-1は誰でも生まれつき持ってます。この遺伝子は我々の祖先が、ヘルペスウイルスの祖先によって仕組まれたものであると考えられます。

同じようにCOVID-19もウイルス自体は小さくて弱いので、祖先が人類に潜り込ませたスパイを使うことで攻撃するのです。
ところがスパイ遺伝子が人類全体に広がらなかったり、長い年月を経てスパイが排除されたりして人種や民族ごとにスパイの保有率にムラがあります。
スパイ遺伝子を持ってない人にCOVID-19が感染してもサイトカインストームが起こらず、したがって無症状となります。


答え合わせになりましたね。
ここで言う「スパイ遺伝子」がまさに重症化遺伝子のことであり、このような生存に不利な遺伝子をなぜ保有しているのかと言うとウイルスによって仕組まれたからです。

ただしこの重症化遺伝子がコロナの祖先によって仕組まれたかと言うと疑問符が付きます。執筆時はその可能性を考えずに書きましたが、もしかすると別のウイルスが仕組んだスパイ遺伝子をコロナが利用するようになっただけかもしれません。
もしコロナの中から重症化遺伝子と類似の塩基配列が見つからなければ他のウイルスが仕組んだということでしょう。仮にそうだったとすればそのウイルスはスパイを無断利用されたコロナに負けて現在では生き残ってない可能性が高いです。

重症化遺伝子は変異によって排除されていきます。これが排除しきれずに残っているとすれば排除してもまた仕組まれた、あるいは長い間重症化遺伝子を呼び覚ますウイルスによる受難を受けなかったということではないでしょうか。
ペーポ教授らの発表では重症化遺伝子がコレラ等の他の病気に対してはプラスになったのではないかと述べられてますが、私はそうではないと考えてます。

・・・

重症化遺伝子、重症化を防ぐ遺伝子の存在は人類とウイルスの攻防戦の痕跡と言えます。
ウイルスが人類にスパイとして重症化遺伝子を仕組み、そして人類のほうは重症化を防ぐ遺伝子で対抗しようとします。
日本人においては全体の30%が重症化を防ぐ遺伝子を保有したまま重症化遺伝子だけが排除されました。
重症化遺伝子が排除されたということは重症化遺伝子が変異して失活した個体ばかりが生き残ったということですので、それは決して穏やかな過程ではなかったでしょう。

一方で南アジアや欧州では重症化遺伝子が排除されてもまた仕組まれた、あるいは長い間受難がなかったおかげで現在でもかなり残ってしまっていると考えられます。
スパイは命令があって初めて破壊活動を行います。命令を出すのはコロナ等のウイルスであり、ウイルスが命令を出さなければ重症化遺伝子があっても生存率には影響が出ないため結果として遺伝子プールから排除されずに残ってしまうのです。

・・・

最後に、なぜウイルスがネアンデルタール人あるいはその祖先に重症化遺伝子を仕組んだのか、その戦略について述べます。

ウイルスが宿主を積極的に攻撃するというのは実は対人に特化した戦略で、野生動物相手だとうまく行きません。
野生動物は基本的に病気になった仲間がいると見捨てるので、ウイルスにとっては感染機会を失うことになります。

しかし人間は病気になった仲間を助けようとしますので、攻撃して熱を出したり弱らせるほど感染機会に恵まれます。
つまり熱が出たからと言って慌てて病院に駆け込むという行動パターンはウイルスの思うつぼなのです。

このことはウイルスはなぜ宿主を攻撃するのかで詳しく述べています。

人間はもともとサルでしたので、遠い祖先は野生動物と同じで病気になった仲間を見捨てていたと考えられます。
その時代はウイルスにとって積極的に攻撃することはマイナスでしかないので、インフルエンザやコロナのような凶暴なウイルスはほぼ存在しなかったでしょう。
仮に何かの間違いで凶暴なウイルスが出てきたとしてもそれが人間の行動パターンにはまらなければ淘汰されます。

さて、ネアンデルタール人の生態は現在の人間にかなり近かったことがわかっています。

ネアンデルタール人の埋葬を改めて確認 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

ネアンデルタール人は死んだ仲間を埋葬してました。しかも埋葬された場所から花粉が見つかっていることから、その時に花を添えていたと考えられています。
また、その遺体は歯が失われていたり腰と背中に問題があったことから誰かの世話にならなければ生きられない状態であり、このことはネアンデルタール人には弱ったり病気になった仲間を助ける習性があったことを示唆しています。

この習性がウイルスの標的になったことは間違いないでしょう。
ネアンデルタール人が最初かどうかはわかりませんが、少なくともサルとネアンデルタール人の間のどこかの時点で人類に仲間を助ける習性が生まれ、そしてそこを弱点として狙うようにウイルスが進化してきたと考えられます。

やがてウイルスは簡単に攻撃を加えられるように重症化遺伝子を人類に組み込みました。
ウイルスはとても小さいのでウイルスだけで攻撃しようとすると先に免疫によって排除されてしまいやすいですが、人類のDNAにスパイを潜り込ませることでスパイに命令するだけで効率的に破壊活動を行うことが可能になります。

コロナの重症化遺伝子がネアンデルタール人から受け継がれたという事実は、ネアンデルタール人が現在の人間と同じ慈愛を持っていたことの裏付けでもあるのです。

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